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中将姫伝説

中将姫とは
中将姫(ちゅうじょうひめ)天平19年(747年)は、奈良県の當麻寺(たいまでら)に伝わる当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の伝説上の人物。平安時代の長和・寛仁の頃より世間に広まり、様々な戯曲の題材となった。
26歳で長谷観音のお告げにより、当麻曼荼羅を織り上げる。仏行に励んで、徳によって仏の助力を得て、一夜で蓮糸で当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織ったとされている。宝亀6年(775年)春、29歳で入滅。阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、生きたまま西方極楽浄土へ向かったとされる。
奈良県葛城市の當麻寺で、毎年5月14日に挙行される法会、「練り供養会式」は、中将姫が聖衆(二十五菩薩)の来迎を受けて、極楽往生を遂げた様を再現している。
中将姫にまつわる伝説は、全国各地で継承されており、また、歌舞伎などの演題になったり、婦人病に効くとされる「中将湯」に名前が使われたりしている。
 

当麻曼荼羅

当麻曼荼羅とは
当麻曼荼(陀)羅(たいま まんだら)とは、奈良の当麻寺に伝わる中将姫伝説が一夜で織り上げたという伝説の蓮糸曼荼羅と言われる曼荼羅の図像に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称である。
浄土変相図の図様としては、他に智光曼荼羅と呼ばれるものと、清海曼荼羅と呼ばれるものとがあり、当麻曼荼羅とあわせて、浄土三曼荼羅と称せられている。その中で、当麻曼荼羅の特徴は、一見して、図像が四つの部分に区切られており、他の浄土図に比べて極楽浄土中の尊像も数多く描かれていて、複雑な画面構成をしているという点である。
當麻寺の創建時のご本尊は現在金堂に配置されている「弥勒仏」だったが、現在は、當麻曼陀羅がご本尊として、本堂(曼陀羅堂)に安置されている。ただし原本は、損傷が激しいため現在見れるのは「文亀曼荼羅(1505)重要文化財」または「貞享曼荼羅(1685)」で、織物ではなく絵画である。
 
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